
■「尾張名古屋」は何もない? 拡大写真

遠方より訪ねてくる知人やお客さんに、時々訊かれる事がある。
「今度、そっちへ出向きますが、どこか良い所はありますか?」
それは名所旧跡や観る価値のある所などのへの質問。
つい、答えてしまうのが
「ご案内する場所ですかぁ、、、。 どこが良いかなぁ、、、。」
自慢するものが思いつかない、、、。残念。 (「トヨタ博物館」?)
「どんな所が良いですか? あまり有名な所を知らないんですよぉ、、。」
これでは、情けないね。
(画像は、ネットから拝借した「名古屋城」)

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「松坂屋」を知ってる人は、多いと思う。
初代社長は名古屋を代表するほどの人物で、元々の呉服店からなら400年以上の歴史を誇る(らしい)。
で、松坂屋にした人が「15代伊藤次郎左衛門祐民」と、なんとも長い名前(役者の様に「襲名」していった様だ)の方。
この「祐民(すけたみ)」さんは、「ハイカラさん」なのか「洋風かぶれ」なのかの議論(僕だけ)はともかく、後世に残る数々の事業の元になった人物の一人である事は間違いないと思う。
その当時、名古屋に残した広大な別荘(?)がある。 「揚輝荘」。
世界大戦末期に焦土と化した名古屋だけど、その一部が残り、その後修復されて一般公開されてます。

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どのくらいだったのか判らないけれど、立派そうだ。
現在はその敷地も二分され、ほぼ真ん中には瀟洒なマンションが建てられており、そのアンバランスが、また、その重要さを増している感じ。

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「揚輝荘」とは全く別だが、「日本ヘラルド」(映画配給会社)も知っている人が多いと思う。
「伊藤祐民」さんと同じ頃(祐民さんの方が目上)にその頭角を現した「古川為三郎」さんの居宅も、今一般開放されている。
「古川美術館」の存在も重要だ。
彼も、「伊藤」さんと同様、新しい時代に飲み込まれ、「記念」や「思い出」になってしまっているのは残念だ。

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雨に濡れた「庭」には、素敵な雰囲気が残っていた。
今度「来客」があればここも紹介しよう!
僕らも知らない「先の戦争」で、いろんなものを失った名古屋だけど、「残っていない」から発展してきた事実もあるよね。
しがらみのない、活気のある地域だから、、!
こんな発見を確認する為に、彼方此方へ出かけたいね。
勿論「キャンピングカー」で。